STORY 1&Dストーリー
創業期1965-1975
1965年6月、大阪は庄内にわずか3坪という小さな鯨肉店が誕生した。店主の名字をとって「髙橋商店」と名付けられた。開店して早々に繁盛店となったが、捕鯨禁止の先行きをみて店主の髙橋健次は、当時では珍しかった「焼肉材料の店」として再スタート。人気店として繁盛する一方で、どこか現状に満足できないでいた。その迷いを吹き飛ばすきっかけがパリで見た総合食肉店「ベルナール」だった。「肉屋を一生の仕事にする」という決意で、パリから帰国した髙橋健次は、「大力食品株式会社」を設立。店舗全体のリニューアルやチェーン展開など次々と打ち立てた目標を実現していく。
パリの衝撃。 肉屋を一生の仕事にする、という決意。

1965年、3坪の鯨肉店から出発した「髙橋商店」は、世界的な捕鯨禁止の動きを見抜き、1967年に「焼く肉を売る店」として再出発した。人気店として繁盛する一方で、髙橋健次はどこか現状に満足できず、次のステップへと進めないで立ち止まっていた。もっと大きな商いを手がけてみたいという子どものころからの夢もあった。
そんな1971年11月、髙橋健次は未知の文化に触れてみたいとの思いからヨーロッパを訪れた。旅の最終日、その日は自由行動。歴史的景観のあるパリの商店街を歩いていたところ、白を基調としたガラス張りの大きな店舗が見えてきた。そのスケールに「百貨店かな」と思って入ってみると、入口で肉を売っている。ショーケースには牛や豚、鶏だけでなく鴨やウサギなどの珍しい肉も揃えてある。加えてハムやソーセージ、惣菜などがセンスよく並べられており、それはまぎれもない肉屋だった。明るくて清潔な店内は、買い物客でごった返している。お客さまに対応する店員たちは、おそろいのユニフォームと革靴で、彼らの振る舞いには、肉のプロとしての自信と誇りがにじみ出ていた。
清潔感あふれる店内。豊富な品揃え。そして誇りを持ってきびきびと働く従業員の姿。目に飛び込んでくるすべてが、日本の常識では想像できない世界であり、大きなカルチャーショックを受けた。「自分もこんなカッコいい店をつくりたい。従業員が働きたいと思えるような店を、そして肉のプロとしてお客さまが喜んでくれる店をつくりたい」。いつの間にか迷いは吹っ切れていた。その店は「ベルナール」と言い、約500坪の売り場面積と100名を超える従業員を有する世界最大の総合食肉店だった。「ベルナール」との運命的な出会いが、その後の人生のあり方を決定づけたのだ。帰国する機内の中で、帰ったらあれをしたい、これもやらねばと、頭の中はパンパンに膨れあがった。「肉屋という仕事を一生の仕事にし、大きな事業に育てよう」。新たな決意とともに、次のステップへ向けた戦略が急展開しはじめた。