STORY

成長期1976–1985

直営の加速化によって「ダイリキ」の看板は順調に増えていった。その一方で大手スーパーが焼肉商材に目をつけ、競合として台頭。先行きに不安を募らせる中、輸入肉をすき焼き用に売る他店から新たな発想を得て、焼肉商材の店から総合食肉店への転換を決意する。1978年、大阪では初となる大型総合食肉店「ダイリキ本店」を庄内に開設。連日の行列に手ごたえを感じた髙橋健次は、出店戦略を方向転換。市場から、商店街へ。さらには大手スーパーのテナントとして出店を加速。関西一円へと「ダイリキ」の名を広げていった。また、20周年を目前に企業理念「価値ある経営」を策定。名実ともに“真の企業”へと脱皮を図った。

お肉を「ごちそう」から「おかず」へ。
総合食肉店への挑戦。

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1975年、直営店化へシフトを切り替えながら、「ダイリキ」の看板は京阪神に広がっていった。しかし、その反面で髙橋健次には不安の種があった。ダイリキの躍進を見てきた大手スーパーマーケットが、焼肉商材も扱うようになってきたからだ。このままスーパーが本格的に乗り出して来れば競合は避けられない。「今調子が良いからといって、焼肉商材だけに頼っていて大丈夫だろうか」という不安が消えることはなかった。
そんな折、広島や福岡で、驚くような安さで牛肉を販売している2つの会社があると聞く。早速見に行くと、すき焼き用の牛肉が100グラム80円から90円という豚肉並みの値段。それはオーストラリアからの輸入牛肉だった。大力食品では、輸入牛肉の内臓肉などを焼肉商材として扱っていたが「すき焼き用に売る」という発想は持っていなかった。和牛や国産牛はたしかにおいしくて“ごちそう”だが、高価なため特別な日にしか食卓に上がらない。輸入牛肉によって値段をこれまでの1/4や1/5に下げれば、日ごろの“おかず”として、子どもたちにお腹いっぱい食べさせられる。「これだ。これはいける」。輸入牛肉なら、焼肉を安く売るという「創業の原点」に加えて、すき焼き用の牛肉も安く売ることができ、品数も多く取り揃えられることで「より便利でいい店」へと進化できる。髙橋健次は考えに考え、食肉の総合販売店になろうと決意した。
そして1978年9月、大阪は庄内の豊南市場の前に、牛・豚・鶏・ハム・加工品などを扱う大型総合食肉店「ダイリキ本店」をオープン。50坪の広々とした店内は品揃えが豊富で清潔感にあふれていた。揃いのユニフォームに身を固めキビキビと動きまわる従業員。価格はどこよりも安く、次から次へとお客さまが押し寄せた。オープン初日の売上は600万円、初月の売上は6000万円を超えた。パリを訪れてから7年。それはベルナールで受けた感動を具現化した、何もかもが日本の常識をくつがえす店舗の誕生となった。